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気持ちの整理のために、
2002年5月21日 〜1〜
去年暮れに、夫の方から、離婚したいと言われました。
夫側の、離婚したい理由として、
・私の金銭感覚についていけない。
・夫は子供が欲しいのに、私の方で子供を産む気がない
・年末年始、毎年寝込んで、クリスマスも正月もない。
と言うことを、言われました。
実際、私の方は寝耳に水で、
確かに、「雅子様」のご懐妊騒ぎ以降(彼女と私は同じ歳)
「お前も、子供産まないか?」と、しつこく言われてはいました。
しかし、私は元々体が弱く、婦人科系の持病があり、子供の出来にくい体で、
生理痛が大変ひどく、それをやわらげるために、低容量ピルを
三年くらい前から飲み始めていました。
〜2〜
また、極端に気候の違う土地、(しかも廊下に置いたビールが凍るほどの
古い家に住んでいます。)に嫁に来たために、季節の変わり目には、必ずと言っていいほど
風邪をひいてしまいます。
そのため、繁忙期が一段落する年末年始は、疲れと風邪のため、ほぼ毎年寝込んでいました。
自営業を営んでいるのですが、会社の業績も、三年ほど前から
かなり悪化しており、この状態で子供を産むのは
経済的な面でも、かなりの不安はあります。
しかし、田舎では都会に比べて所得が大変低く、都会の大卒のOLの
一ヶ月の給料で、親子四人が生活しているのが普通です。
確かに、夫の言うように、私の金銭感覚は田舎の水準とは違うかもしれませんが、
このままの経営状態で、子供を産むのは大変不安です。
〜3〜
プロポーズされたときの夫の言葉の中で
「金の苦労はさせない」と言うのがありました。
夫に言わせると「そんなこと信じると思わなかった」と言いますが、
私としては貧乏してまで子供を育てるほどの子供好きではないのです。
使用人が何十人もいて、お抱えの運転手、エステシャンがいて‥
なんて、映画に出てくるような生活なんて出来ないと思ってはいましたが、
まさか、ここまで生活レベルが落ちるとは思いませんでした。
実際、古くから商売をやっている家なので、そこそこの財産はあるのですが、
じっさいの収入は想像以上に低かったのが現実です。
夫の離婚理由の一つに、「経済感覚のずれ」とありますが、
私は、中学から私立の女子校だったこともあり、まわりの友達は
最低でも中流以上の家庭の子ばかりなので、そういった意味では
一般的な庶民の感覚と、ずれてる部分はあるでしょう。
それに、この家には姑はもちろん、気の合わない、結婚していない夫の妹まで
一緒に住んでいるのです。
(夫はあいつは男好きだから2・3年で嫁に行くと、自信たっぷりに言ってました)
この状態で、自分の子供の子育てをする自信もないし、
また、そのため他の場所に住むための経済的な余裕もありませんでした。
それでも、最初のうちは「夫婦2人でとにかく会社の経営を軌道に乗せる」
という、共通の目的があったので、景気が悪化するまでは、本当に力を合わせて
がんばりました。
いろいろなイベントを打ったり、宣伝・広告や、新商品の開発。
ところが、三年ほど前から、売上は下降線をたどり、夫の仕事に対する意欲が
目に見えて無くなってきて、何事も「不景気」のせいにするようになってきました。
私に対しての態度も、その頃から変わってきました。
一つ面白くないことがあると、発作のように怒り出すのです。
表だって暴力こそは振るいませんが、一度怒ると手の着けようがありません。
仕事中に、お客さんの見えないところで、足を蹴られたこともあります。
〜4〜
年末以来、夫の方から離婚の話があり、2人で話し合いを続けていたのですが
私が離婚に対して、あまり前向きではないとのことで、二月に入り、
夫はいきなり私の実家の父に電話をしたのです。
(その時点では同居している姑には、離婚のことは何も告げていませんでした)
父は驚いて、電話から一週間もしないで、私の住む街まで電車で5時間かけて
やって来ました。
その時の夫の話では
「佐緒里さえ、努力してくれれば、離婚はしない」と父に言いました。
私も、経済的なこととか、子供のこともふまえ、その後夫と、何度となく
話し合いを続けましたが、夫の心は私から離れていくばかりです。
話をしても、これ以上ないほどの最小限の冷たい返事しか帰ってこないし、
また、食事以外は自分の部屋にこもりきりです。
私の方では「五月の連休までに、離婚する・しないの返事を出す」ということを
夫に言ってました。
そして「離婚はしない」ことを告げると、夫はいきなり調停へ申し立てへ行ったのです。
私になんの相談もなく。
また、役員として勤務している夫の会社も、五月いっぱいでやめて欲しい。
今住んでいる家も、オレの名義なので、出ていって欲しいとまで言われました。
〜5〜
信じてた人に、ここまでのことをされたショックで、体重も落ち
今は精神安定剤を服用しながら、なんとか生活をしています。
仕事中はなるべく涙を見せないようにしていますが、
一人で台所に立っていると、悲しくて、寂しくて、
涙が、自然に溢れてきます。
夫の決めていた「離婚スケジュール」というのがあって、
春までに、だいたいの話し合いがついて、私の仕事が決まり、夏の暇な時期に
引っ越しを手伝ってくれる‥‥というモノらしいのですが、
なんだか、それってある数字と、一致するんですよね。
夫には、たぶん他に女がいるのではないでしょうか。
その女に子供が出来て、だから急に離婚話をしてきた。
八月に離婚が成立して私が出ていけば、無事、産まれてくる子供も
自分の籍に入れられる。。。
〜6〜
精神的にも経済的にも、追い込まれて私はボロボロです。
夫を殺して自分も死にたいくらいです。
でも、はっきり言って、今でも私は夫を愛しています。
夫がもし、(生まれてくる子供のこととかで)何があっても離婚に同意して欲しいと
言うのならば、それなりの保証をして欲しいと考えてます。
私は結婚前に医薬品系の化粧品の営業・販売をしてました。
当時手取りで20万ちょっとの給料でしたが、あれから十年経って、
私の年齢で正社員で、それだけの給料を貰えるところは、
看護士等の特別な資格をもつ職業以外では難しいと思います。
結婚するときの夫側の条件として言われたのは、仕事は辞めて、
夫の会社で働いて欲しいと言うことでした。
姑と小姑の2人に何から何まで細かく言われて、最初に手渡された給料は、
手取りで8万円でした。
離婚の話が出てから、それとなく新聞の求人欄をチェックしたのですが、
その内容は、十年前とは考えられないほどの内容の差です。
自分自身で選択したとは言え、この十年間に失ったモノの大きさに愕然としました。
私は両親は離婚して2人それぞれ別な家庭を持っているので、帰る家はありません。
イチからの一人暮らしとなるわけです。
また、離婚してすぐに仕事を見つけられるほど、いまの経済情勢は甘くないと
思っています。
姑の口癖で「商売やっていれば、良い時もあれば、悪いときもある」というのが
あります。
実際結婚してからの環境は悪いとき・良くても「ちょっと良いかな」くらいで、
誰一人頼れる者のない場所で、精神的にこれ以上ないほど追いつめられ、
夫の言葉の暴力、肉体的な暴力に耐え、それでもいつか、「結婚してよかった」
と思える日が来ると信じてやって来ました。
それでもなお、なおかつ、夫の方で一方的に離婚をしたいというのなら、
金銭的にこれからの私の生活を保証して頂きたいとおもいます。
○離婚当初 *万円
○離婚1年目 月*万
○それ以降9年間 一ヶ月*万円
合計*万円を要求したいと思います。
たぶん夫は、自分にはそれを支払うだけの金は無いと言うでしょう。
夫の持つ株券、あえて母親名義となってる不動産等、
(そのうちの一つは、彼の新しい家族の新居となるでしょう)
かなりの資産はあるはずです。
去年暮れに、夫の方から、離婚したいと言われました。
夫側の、離婚したい理由として、
・私の金銭感覚についていけない。
・夫は子供が欲しいのに、私の方で子供を産む気がない
・年末年始、毎年寝込んで、クリスマスも正月もない。
と言うことを、言われました。
実際、私の方は寝耳に水で、
確かに、「雅子様」のご懐妊騒ぎ以降(彼女と私は同じ歳)
「お前も、子供産まないか?」と、しつこく言われてはいました。
しかし、私は元々体が弱く、婦人科系の持病があり、子供の出来にくい体で、
生理痛が大変ひどく、それをやわらげるために、低容量ピルを
三年くらい前から飲み始めていました。
〜2〜
また、極端に気候の違う土地、(しかも廊下に置いたビールが凍るほどの
古い家に住んでいます。)に嫁に来たために、季節の変わり目には、必ずと言っていいほど
風邪をひいてしまいます。
そのため、繁忙期が一段落する年末年始は、疲れと風邪のため、ほぼ毎年寝込んでいました。
自営業を営んでいるのですが、会社の業績も、三年ほど前から
かなり悪化しており、この状態で子供を産むのは
経済的な面でも、かなりの不安はあります。
しかし、田舎では都会に比べて所得が大変低く、都会の大卒のOLの
一ヶ月の給料で、親子四人が生活しているのが普通です。
確かに、夫の言うように、私の金銭感覚は田舎の水準とは違うかもしれませんが、
このままの経営状態で、子供を産むのは大変不安です。
〜3〜
プロポーズされたときの夫の言葉の中で
「金の苦労はさせない」と言うのがありました。
夫に言わせると「そんなこと信じると思わなかった」と言いますが、
私としては貧乏してまで子供を育てるほどの子供好きではないのです。
使用人が何十人もいて、お抱えの運転手、エステシャンがいて‥
なんて、映画に出てくるような生活なんて出来ないと思ってはいましたが、
まさか、ここまで生活レベルが落ちるとは思いませんでした。
実際、古くから商売をやっている家なので、そこそこの財産はあるのですが、
じっさいの収入は想像以上に低かったのが現実です。
夫の離婚理由の一つに、「経済感覚のずれ」とありますが、
私は、中学から私立の女子校だったこともあり、まわりの友達は
最低でも中流以上の家庭の子ばかりなので、そういった意味では
一般的な庶民の感覚と、ずれてる部分はあるでしょう。
それに、この家には姑はもちろん、気の合わない、結婚していない夫の妹まで
一緒に住んでいるのです。
(夫はあいつは男好きだから2・3年で嫁に行くと、自信たっぷりに言ってました)
この状態で、自分の子供の子育てをする自信もないし、
また、そのため他の場所に住むための経済的な余裕もありませんでした。
それでも、最初のうちは「夫婦2人でとにかく会社の経営を軌道に乗せる」
という、共通の目的があったので、景気が悪化するまでは、本当に力を合わせて
がんばりました。
いろいろなイベントを打ったり、宣伝・広告や、新商品の開発。
ところが、三年ほど前から、売上は下降線をたどり、夫の仕事に対する意欲が
目に見えて無くなってきて、何事も「不景気」のせいにするようになってきました。
私に対しての態度も、その頃から変わってきました。
一つ面白くないことがあると、発作のように怒り出すのです。
表だって暴力こそは振るいませんが、一度怒ると手の着けようがありません。
仕事中に、お客さんの見えないところで、足を蹴られたこともあります。
〜4〜
年末以来、夫の方から離婚の話があり、2人で話し合いを続けていたのですが
私が離婚に対して、あまり前向きではないとのことで、二月に入り、
夫はいきなり私の実家の父に電話をしたのです。
(その時点では同居している姑には、離婚のことは何も告げていませんでした)
父は驚いて、電話から一週間もしないで、私の住む街まで電車で5時間かけて
やって来ました。
その時の夫の話では
「佐緒里さえ、努力してくれれば、離婚はしない」と父に言いました。
私も、経済的なこととか、子供のこともふまえ、その後夫と、何度となく
話し合いを続けましたが、夫の心は私から離れていくばかりです。
話をしても、これ以上ないほどの最小限の冷たい返事しか帰ってこないし、
また、食事以外は自分の部屋にこもりきりです。
私の方では「五月の連休までに、離婚する・しないの返事を出す」ということを
夫に言ってました。
そして「離婚はしない」ことを告げると、夫はいきなり調停へ申し立てへ行ったのです。
私になんの相談もなく。
また、役員として勤務している夫の会社も、五月いっぱいでやめて欲しい。
今住んでいる家も、オレの名義なので、出ていって欲しいとまで言われました。
〜5〜
信じてた人に、ここまでのことをされたショックで、体重も落ち
今は精神安定剤を服用しながら、なんとか生活をしています。
仕事中はなるべく涙を見せないようにしていますが、
一人で台所に立っていると、悲しくて、寂しくて、
涙が、自然に溢れてきます。
夫の決めていた「離婚スケジュール」というのがあって、
春までに、だいたいの話し合いがついて、私の仕事が決まり、夏の暇な時期に
引っ越しを手伝ってくれる‥‥というモノらしいのですが、
なんだか、それってある数字と、一致するんですよね。
夫には、たぶん他に女がいるのではないでしょうか。
その女に子供が出来て、だから急に離婚話をしてきた。
八月に離婚が成立して私が出ていけば、無事、産まれてくる子供も
自分の籍に入れられる。。。
〜6〜
精神的にも経済的にも、追い込まれて私はボロボロです。
夫を殺して自分も死にたいくらいです。
でも、はっきり言って、今でも私は夫を愛しています。
夫がもし、(生まれてくる子供のこととかで)何があっても離婚に同意して欲しいと
言うのならば、それなりの保証をして欲しいと考えてます。
私は結婚前に医薬品系の化粧品の営業・販売をしてました。
当時手取りで20万ちょっとの給料でしたが、あれから十年経って、
私の年齢で正社員で、それだけの給料を貰えるところは、
看護士等の特別な資格をもつ職業以外では難しいと思います。
結婚するときの夫側の条件として言われたのは、仕事は辞めて、
夫の会社で働いて欲しいと言うことでした。
姑と小姑の2人に何から何まで細かく言われて、最初に手渡された給料は、
手取りで8万円でした。
離婚の話が出てから、それとなく新聞の求人欄をチェックしたのですが、
その内容は、十年前とは考えられないほどの内容の差です。
自分自身で選択したとは言え、この十年間に失ったモノの大きさに愕然としました。
私は両親は離婚して2人それぞれ別な家庭を持っているので、帰る家はありません。
イチからの一人暮らしとなるわけです。
また、離婚してすぐに仕事を見つけられるほど、いまの経済情勢は甘くないと
思っています。
姑の口癖で「商売やっていれば、良い時もあれば、悪いときもある」というのが
あります。
実際結婚してからの環境は悪いとき・良くても「ちょっと良いかな」くらいで、
誰一人頼れる者のない場所で、精神的にこれ以上ないほど追いつめられ、
夫の言葉の暴力、肉体的な暴力に耐え、それでもいつか、「結婚してよかった」
と思える日が来ると信じてやって来ました。
それでもなお、なおかつ、夫の方で一方的に離婚をしたいというのなら、
金銭的にこれからの私の生活を保証して頂きたいとおもいます。
○離婚当初 *万円
○離婚1年目 月*万
○それ以降9年間 一ヶ月*万円
合計*万円を要求したいと思います。
たぶん夫は、自分にはそれを支払うだけの金は無いと言うでしょう。
夫の持つ株券、あえて母親名義となってる不動産等、
(そのうちの一つは、彼の新しい家族の新居となるでしょう)
かなりの資産はあるはずです。
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