重い思い
2006年6月19日休みの日になると、微熱が出て
ここ最近は、ほぼ一日寝ていることが多い。
仕事の日も、夜になると熱が出て
ものすごい寝汗をかき、朝になると
仕事に出かけられるコンディションに戻る。
これはいったい何なのだろう?
ただ単に疲れから来ているのか?
友人と食事に出かけるも、なんとなく気が重い。
プチ鬱というものか?
普通に楽しく振る舞えるのだけれど、
どこか冷めた自分がいる。
思春期のような。
それとも早すぎる更年期なのか?
ここ最近は、ほぼ一日寝ていることが多い。
仕事の日も、夜になると熱が出て
ものすごい寝汗をかき、朝になると
仕事に出かけられるコンディションに戻る。
これはいったい何なのだろう?
ただ単に疲れから来ているのか?
友人と食事に出かけるも、なんとなく気が重い。
プチ鬱というものか?
普通に楽しく振る舞えるのだけれど、
どこか冷めた自分がいる。
思春期のような。
それとも早すぎる更年期なのか?
私は不幸なのか?
2005年8月15日なぜ愛せないのか?
答えはわからない。
私が不幸じゃないから?
いつも、幸せそうに振る舞っているのが
そんなに気にくわないのか?
これで、子供の一人でもいて、
生活に困っていれば、
仕事も、時給700円台のバイトでもしてれば
満足なのか?
そんなに私の不幸が見たいのか?
そんな親がどこにいる!?
答えはわからない。
私が不幸じゃないから?
いつも、幸せそうに振る舞っているのが
そんなに気にくわないのか?
これで、子供の一人でもいて、
生活に困っていれば、
仕事も、時給700円台のバイトでもしてれば
満足なのか?
そんなに私の不幸が見たいのか?
そんな親がどこにいる!?
結局、こんな形で一人暮らしを始めることになろうとは‥
結局のところ、二年もあいつと住んでいて
良かったのか、悪かったのか。。
ただ、金をむしり取ったり、取られたりしただけなのかも。
結局のところ、二年もあいつと住んでいて
良かったのか、悪かったのか。。
ただ、金をむしり取ったり、取られたりしただけなのかも。
気持ちの整理のために、
2002年5月21日 〜1〜
去年暮れに、夫の方から、離婚したいと言われました。
夫側の、離婚したい理由として、
・私の金銭感覚についていけない。
・夫は子供が欲しいのに、私の方で子供を産む気がない
・年末年始、毎年寝込んで、クリスマスも正月もない。
と言うことを、言われました。
実際、私の方は寝耳に水で、
確かに、「雅子様」のご懐妊騒ぎ以降(彼女と私は同じ歳)
「お前も、子供産まないか?」と、しつこく言われてはいました。
しかし、私は元々体が弱く、婦人科系の持病があり、子供の出来にくい体で、
生理痛が大変ひどく、それをやわらげるために、低容量ピルを
三年くらい前から飲み始めていました。
〜2〜
また、極端に気候の違う土地、(しかも廊下に置いたビールが凍るほどの
古い家に住んでいます。)に嫁に来たために、季節の変わり目には、必ずと言っていいほど
風邪をひいてしまいます。
そのため、繁忙期が一段落する年末年始は、疲れと風邪のため、ほぼ毎年寝込んでいました。
自営業を営んでいるのですが、会社の業績も、三年ほど前から
かなり悪化しており、この状態で子供を産むのは
経済的な面でも、かなりの不安はあります。
しかし、田舎では都会に比べて所得が大変低く、都会の大卒のOLの
一ヶ月の給料で、親子四人が生活しているのが普通です。
確かに、夫の言うように、私の金銭感覚は田舎の水準とは違うかもしれませんが、
このままの経営状態で、子供を産むのは大変不安です。
〜3〜
プロポーズされたときの夫の言葉の中で
「金の苦労はさせない」と言うのがありました。
夫に言わせると「そんなこと信じると思わなかった」と言いますが、
私としては貧乏してまで子供を育てるほどの子供好きではないのです。
使用人が何十人もいて、お抱えの運転手、エステシャンがいて‥
なんて、映画に出てくるような生活なんて出来ないと思ってはいましたが、
まさか、ここまで生活レベルが落ちるとは思いませんでした。
実際、古くから商売をやっている家なので、そこそこの財産はあるのですが、
じっさいの収入は想像以上に低かったのが現実です。
夫の離婚理由の一つに、「経済感覚のずれ」とありますが、
私は、中学から私立の女子校だったこともあり、まわりの友達は
最低でも中流以上の家庭の子ばかりなので、そういった意味では
一般的な庶民の感覚と、ずれてる部分はあるでしょう。
それに、この家には姑はもちろん、気の合わない、結婚していない夫の妹まで
一緒に住んでいるのです。
(夫はあいつは男好きだから2・3年で嫁に行くと、自信たっぷりに言ってました)
この状態で、自分の子供の子育てをする自信もないし、
また、そのため他の場所に住むための経済的な余裕もありませんでした。
それでも、最初のうちは「夫婦2人でとにかく会社の経営を軌道に乗せる」
という、共通の目的があったので、景気が悪化するまでは、本当に力を合わせて
がんばりました。
いろいろなイベントを打ったり、宣伝・広告や、新商品の開発。
ところが、三年ほど前から、売上は下降線をたどり、夫の仕事に対する意欲が
目に見えて無くなってきて、何事も「不景気」のせいにするようになってきました。
私に対しての態度も、その頃から変わってきました。
一つ面白くないことがあると、発作のように怒り出すのです。
表だって暴力こそは振るいませんが、一度怒ると手の着けようがありません。
仕事中に、お客さんの見えないところで、足を蹴られたこともあります。
〜4〜
年末以来、夫の方から離婚の話があり、2人で話し合いを続けていたのですが
私が離婚に対して、あまり前向きではないとのことで、二月に入り、
夫はいきなり私の実家の父に電話をしたのです。
(その時点では同居している姑には、離婚のことは何も告げていませんでした)
父は驚いて、電話から一週間もしないで、私の住む街まで電車で5時間かけて
やって来ました。
その時の夫の話では
「佐緒里さえ、努力してくれれば、離婚はしない」と父に言いました。
私も、経済的なこととか、子供のこともふまえ、その後夫と、何度となく
話し合いを続けましたが、夫の心は私から離れていくばかりです。
話をしても、これ以上ないほどの最小限の冷たい返事しか帰ってこないし、
また、食事以外は自分の部屋にこもりきりです。
私の方では「五月の連休までに、離婚する・しないの返事を出す」ということを
夫に言ってました。
そして「離婚はしない」ことを告げると、夫はいきなり調停へ申し立てへ行ったのです。
私になんの相談もなく。
また、役員として勤務している夫の会社も、五月いっぱいでやめて欲しい。
今住んでいる家も、オレの名義なので、出ていって欲しいとまで言われました。
〜5〜
信じてた人に、ここまでのことをされたショックで、体重も落ち
今は精神安定剤を服用しながら、なんとか生活をしています。
仕事中はなるべく涙を見せないようにしていますが、
一人で台所に立っていると、悲しくて、寂しくて、
涙が、自然に溢れてきます。
夫の決めていた「離婚スケジュール」というのがあって、
春までに、だいたいの話し合いがついて、私の仕事が決まり、夏の暇な時期に
引っ越しを手伝ってくれる‥‥というモノらしいのですが、
なんだか、それってある数字と、一致するんですよね。
夫には、たぶん他に女がいるのではないでしょうか。
その女に子供が出来て、だから急に離婚話をしてきた。
八月に離婚が成立して私が出ていけば、無事、産まれてくる子供も
自分の籍に入れられる。。。
〜6〜
精神的にも経済的にも、追い込まれて私はボロボロです。
夫を殺して自分も死にたいくらいです。
でも、はっきり言って、今でも私は夫を愛しています。
夫がもし、(生まれてくる子供のこととかで)何があっても離婚に同意して欲しいと
言うのならば、それなりの保証をして欲しいと考えてます。
私は結婚前に医薬品系の化粧品の営業・販売をしてました。
当時手取りで20万ちょっとの給料でしたが、あれから十年経って、
私の年齢で正社員で、それだけの給料を貰えるところは、
看護士等の特別な資格をもつ職業以外では難しいと思います。
結婚するときの夫側の条件として言われたのは、仕事は辞めて、
夫の会社で働いて欲しいと言うことでした。
姑と小姑の2人に何から何まで細かく言われて、最初に手渡された給料は、
手取りで8万円でした。
離婚の話が出てから、それとなく新聞の求人欄をチェックしたのですが、
その内容は、十年前とは考えられないほどの内容の差です。
自分自身で選択したとは言え、この十年間に失ったモノの大きさに愕然としました。
私は両親は離婚して2人それぞれ別な家庭を持っているので、帰る家はありません。
イチからの一人暮らしとなるわけです。
また、離婚してすぐに仕事を見つけられるほど、いまの経済情勢は甘くないと
思っています。
姑の口癖で「商売やっていれば、良い時もあれば、悪いときもある」というのが
あります。
実際結婚してからの環境は悪いとき・良くても「ちょっと良いかな」くらいで、
誰一人頼れる者のない場所で、精神的にこれ以上ないほど追いつめられ、
夫の言葉の暴力、肉体的な暴力に耐え、それでもいつか、「結婚してよかった」
と思える日が来ると信じてやって来ました。
それでもなお、なおかつ、夫の方で一方的に離婚をしたいというのなら、
金銭的にこれからの私の生活を保証して頂きたいとおもいます。
○離婚当初 *万円
○離婚1年目 月*万
○それ以降9年間 一ヶ月*万円
合計*万円を要求したいと思います。
たぶん夫は、自分にはそれを支払うだけの金は無いと言うでしょう。
夫の持つ株券、あえて母親名義となってる不動産等、
(そのうちの一つは、彼の新しい家族の新居となるでしょう)
かなりの資産はあるはずです。
去年暮れに、夫の方から、離婚したいと言われました。
夫側の、離婚したい理由として、
・私の金銭感覚についていけない。
・夫は子供が欲しいのに、私の方で子供を産む気がない
・年末年始、毎年寝込んで、クリスマスも正月もない。
と言うことを、言われました。
実際、私の方は寝耳に水で、
確かに、「雅子様」のご懐妊騒ぎ以降(彼女と私は同じ歳)
「お前も、子供産まないか?」と、しつこく言われてはいました。
しかし、私は元々体が弱く、婦人科系の持病があり、子供の出来にくい体で、
生理痛が大変ひどく、それをやわらげるために、低容量ピルを
三年くらい前から飲み始めていました。
〜2〜
また、極端に気候の違う土地、(しかも廊下に置いたビールが凍るほどの
古い家に住んでいます。)に嫁に来たために、季節の変わり目には、必ずと言っていいほど
風邪をひいてしまいます。
そのため、繁忙期が一段落する年末年始は、疲れと風邪のため、ほぼ毎年寝込んでいました。
自営業を営んでいるのですが、会社の業績も、三年ほど前から
かなり悪化しており、この状態で子供を産むのは
経済的な面でも、かなりの不安はあります。
しかし、田舎では都会に比べて所得が大変低く、都会の大卒のOLの
一ヶ月の給料で、親子四人が生活しているのが普通です。
確かに、夫の言うように、私の金銭感覚は田舎の水準とは違うかもしれませんが、
このままの経営状態で、子供を産むのは大変不安です。
〜3〜
プロポーズされたときの夫の言葉の中で
「金の苦労はさせない」と言うのがありました。
夫に言わせると「そんなこと信じると思わなかった」と言いますが、
私としては貧乏してまで子供を育てるほどの子供好きではないのです。
使用人が何十人もいて、お抱えの運転手、エステシャンがいて‥
なんて、映画に出てくるような生活なんて出来ないと思ってはいましたが、
まさか、ここまで生活レベルが落ちるとは思いませんでした。
実際、古くから商売をやっている家なので、そこそこの財産はあるのですが、
じっさいの収入は想像以上に低かったのが現実です。
夫の離婚理由の一つに、「経済感覚のずれ」とありますが、
私は、中学から私立の女子校だったこともあり、まわりの友達は
最低でも中流以上の家庭の子ばかりなので、そういった意味では
一般的な庶民の感覚と、ずれてる部分はあるでしょう。
それに、この家には姑はもちろん、気の合わない、結婚していない夫の妹まで
一緒に住んでいるのです。
(夫はあいつは男好きだから2・3年で嫁に行くと、自信たっぷりに言ってました)
この状態で、自分の子供の子育てをする自信もないし、
また、そのため他の場所に住むための経済的な余裕もありませんでした。
それでも、最初のうちは「夫婦2人でとにかく会社の経営を軌道に乗せる」
という、共通の目的があったので、景気が悪化するまでは、本当に力を合わせて
がんばりました。
いろいろなイベントを打ったり、宣伝・広告や、新商品の開発。
ところが、三年ほど前から、売上は下降線をたどり、夫の仕事に対する意欲が
目に見えて無くなってきて、何事も「不景気」のせいにするようになってきました。
私に対しての態度も、その頃から変わってきました。
一つ面白くないことがあると、発作のように怒り出すのです。
表だって暴力こそは振るいませんが、一度怒ると手の着けようがありません。
仕事中に、お客さんの見えないところで、足を蹴られたこともあります。
〜4〜
年末以来、夫の方から離婚の話があり、2人で話し合いを続けていたのですが
私が離婚に対して、あまり前向きではないとのことで、二月に入り、
夫はいきなり私の実家の父に電話をしたのです。
(その時点では同居している姑には、離婚のことは何も告げていませんでした)
父は驚いて、電話から一週間もしないで、私の住む街まで電車で5時間かけて
やって来ました。
その時の夫の話では
「佐緒里さえ、努力してくれれば、離婚はしない」と父に言いました。
私も、経済的なこととか、子供のこともふまえ、その後夫と、何度となく
話し合いを続けましたが、夫の心は私から離れていくばかりです。
話をしても、これ以上ないほどの最小限の冷たい返事しか帰ってこないし、
また、食事以外は自分の部屋にこもりきりです。
私の方では「五月の連休までに、離婚する・しないの返事を出す」ということを
夫に言ってました。
そして「離婚はしない」ことを告げると、夫はいきなり調停へ申し立てへ行ったのです。
私になんの相談もなく。
また、役員として勤務している夫の会社も、五月いっぱいでやめて欲しい。
今住んでいる家も、オレの名義なので、出ていって欲しいとまで言われました。
〜5〜
信じてた人に、ここまでのことをされたショックで、体重も落ち
今は精神安定剤を服用しながら、なんとか生活をしています。
仕事中はなるべく涙を見せないようにしていますが、
一人で台所に立っていると、悲しくて、寂しくて、
涙が、自然に溢れてきます。
夫の決めていた「離婚スケジュール」というのがあって、
春までに、だいたいの話し合いがついて、私の仕事が決まり、夏の暇な時期に
引っ越しを手伝ってくれる‥‥というモノらしいのですが、
なんだか、それってある数字と、一致するんですよね。
夫には、たぶん他に女がいるのではないでしょうか。
その女に子供が出来て、だから急に離婚話をしてきた。
八月に離婚が成立して私が出ていけば、無事、産まれてくる子供も
自分の籍に入れられる。。。
〜6〜
精神的にも経済的にも、追い込まれて私はボロボロです。
夫を殺して自分も死にたいくらいです。
でも、はっきり言って、今でも私は夫を愛しています。
夫がもし、(生まれてくる子供のこととかで)何があっても離婚に同意して欲しいと
言うのならば、それなりの保証をして欲しいと考えてます。
私は結婚前に医薬品系の化粧品の営業・販売をしてました。
当時手取りで20万ちょっとの給料でしたが、あれから十年経って、
私の年齢で正社員で、それだけの給料を貰えるところは、
看護士等の特別な資格をもつ職業以外では難しいと思います。
結婚するときの夫側の条件として言われたのは、仕事は辞めて、
夫の会社で働いて欲しいと言うことでした。
姑と小姑の2人に何から何まで細かく言われて、最初に手渡された給料は、
手取りで8万円でした。
離婚の話が出てから、それとなく新聞の求人欄をチェックしたのですが、
その内容は、十年前とは考えられないほどの内容の差です。
自分自身で選択したとは言え、この十年間に失ったモノの大きさに愕然としました。
私は両親は離婚して2人それぞれ別な家庭を持っているので、帰る家はありません。
イチからの一人暮らしとなるわけです。
また、離婚してすぐに仕事を見つけられるほど、いまの経済情勢は甘くないと
思っています。
姑の口癖で「商売やっていれば、良い時もあれば、悪いときもある」というのが
あります。
実際結婚してからの環境は悪いとき・良くても「ちょっと良いかな」くらいで、
誰一人頼れる者のない場所で、精神的にこれ以上ないほど追いつめられ、
夫の言葉の暴力、肉体的な暴力に耐え、それでもいつか、「結婚してよかった」
と思える日が来ると信じてやって来ました。
それでもなお、なおかつ、夫の方で一方的に離婚をしたいというのなら、
金銭的にこれからの私の生活を保証して頂きたいとおもいます。
○離婚当初 *万円
○離婚1年目 月*万
○それ以降9年間 一ヶ月*万円
合計*万円を要求したいと思います。
たぶん夫は、自分にはそれを支払うだけの金は無いと言うでしょう。
夫の持つ株券、あえて母親名義となってる不動産等、
(そのうちの一つは、彼の新しい家族の新居となるでしょう)
かなりの資産はあるはずです。
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母は浪花節系ヤンキー
2002年5月12日大喧嘩して、三年ほど前から疎遠になっていた母親と電話で話す。
私の方の大まかな、離婚に至るまでの流れと、今迷っていること等を
かいつまんで話す。
母は同年代の会社経営者と、2・2年前に結婚している。
離婚してから今までの苦労話を交えながら、‘人生論’みたいなことを
聞かされた。
なんだか、‘浪花節的’と言おうか、ヤンキー的と言おうか。
父ほどの「可哀相に、よしよし」ノリは、ほとんど無く、
「結論を出すのは、あなた自身」と言われる。
さすが、苦労してるだけある。
でも、やはり同じ親子でも、母は私とは合わないと思った。
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同居している姑
2002年5月11日昨日、精神科に行って来た。
いろいろ話をして、お薬を山ほどもらって帰ってきた。
夫は用事で夜はいなかったので、一人で夕食を取る。
とても気が楽。
ごはんも美味しかった。
今回の離婚のことは、私からはまだ、同居している姑には何も言ってない。
いちお、話をしておこうと思って一部始終話す。
話してわかったことだが、やはりどんなに自分の子供に非があろうとも
親は、子供の味方だということ。
*ガマンしているのは夫の方
*最初からうちの家風に合わない人だと思ってた
そのたもろもろ、おとなしく聞いてたら、私に説教しそうな勢いなので、
適当なところで、話の腰を折って、猫を連れた帰ってきた。
くそばばあ!
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「生きて地獄を見る。」
2002年5月10日ああ、まさに、地獄だ
必要があって、夫と会話をする
何かを尋ねると、その答えは、これ以上ないほどの、冷たい言葉で返ってくる
その言葉は、少しづつ、私の心を殺していく
呼吸が出来ない
瞼の奥で、涙が流れる
止まらない
涙は、首筋をつたって、心に刺さる
苦しい
必要があって、夫と会話をする
何かを尋ねると、その答えは、これ以上ないほどの、冷たい言葉で返ってくる
その言葉は、少しづつ、私の心を殺していく
呼吸が出来ない
瞼の奥で、涙が流れる
止まらない
涙は、首筋をつたって、心に刺さる
苦しい
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全知全能の神よ‥
2002年5月9日 *****
人生の途上ではいろいろ困難に遭うでしょうが、どうかどんなに辛くても絶望しないで下さい。
愚かな人間でも、小学生に高校や大学の問題を出す者はおりません。
クイズを出すときは皆、あらかじめ答えを用意します。
まして全知全能の神が、人々に解決不可能な難問奇問を出すはずがありません。
一人一人その人にあった問題が与えられていて、必ず解決される道が用意されていると
信じて頑張って欲しいです。
そしてその解決が出来たら、今までよりも一段高いところへの成長それはまた
神のご意志に沿うことになるでしょう。
*****
いったい、今の私が直面しているこの難問に、どんな答えが用意されていると言うのだ?
人生の途上ではいろいろ困難に遭うでしょうが、どうかどんなに辛くても絶望しないで下さい。
愚かな人間でも、小学生に高校や大学の問題を出す者はおりません。
クイズを出すときは皆、あらかじめ答えを用意します。
まして全知全能の神が、人々に解決不可能な難問奇問を出すはずがありません。
一人一人その人にあった問題が与えられていて、必ず解決される道が用意されていると
信じて頑張って欲しいです。
そしてその解決が出来たら、今までよりも一段高いところへの成長それはまた
神のご意志に沿うことになるでしょう。
*****
いったい、今の私が直面しているこの難問に、どんな答えが用意されていると言うのだ?
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もしも今、、、
2002年5月8日夫に解雇を言い渡された件で、いろいろ調べてみたら、
役員に関しては、突然の解雇、その理由が
「気に入らない。顔を見たくないから。」であっても、
違法にならないことがわかる。
悔しい。
あいつは、それを知ってて、言ってきたのだろうか。
今、夫を、殺せたら、どんなに気分がいいだろう。
殺してやりたい。
〜〜〜
役員に関しては、突然の解雇、その理由が
「気に入らない。顔を見たくないから。」であっても、
違法にならないことがわかる。
悔しい。
あいつは、それを知ってて、言ってきたのだろうか。
今、夫を、殺せたら、どんなに気分がいいだろう。
殺してやりたい。
〜〜〜
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結婚した理由
2002年5月7日それにしても、私はなぜ、今の夫と結婚しようと思ったのだろう。
*私にすごく優しいから
*気前が良い
*自営業で、結婚したらお金に不自由はさせないと言ってくれたから
*社長だし、やってる仕事も、綺麗でカッコイイ仕事だから
*美味しそうに食事をするから
*sexは特別上手じゃないけれど、丁寧でいい仕事してくれるから
*今まで私の結婚相手に対して、うるさかった父が夫の時は反対しなかったから
今現在、夫の嫌いなところ
*臭い(老人臭)
*食事の時、いちいち文句を言って、不機嫌そうに食べる
*不景気で、私の給料も、家計費も削られた
*仕事に対しての情熱が、若い頃に比べて、冷めてきている
*金がないにも関わらず、歳を取ってから、子供を欲しがるようになった。
*仕事中でも、自分の感情をコントロールできないで、平気で怒鳴る
経済力があったから、多少の欠点も目をつぶって来れたけど、
金の無い、足の短い、頭のはげた、偏屈オヤジの子供なんて、誰もいらないよ。
〜〜〜
*私にすごく優しいから
*気前が良い
*自営業で、結婚したらお金に不自由はさせないと言ってくれたから
*社長だし、やってる仕事も、綺麗でカッコイイ仕事だから
*美味しそうに食事をするから
*sexは特別上手じゃないけれど、丁寧でいい仕事してくれるから
*今まで私の結婚相手に対して、うるさかった父が夫の時は反対しなかったから
今現在、夫の嫌いなところ
*臭い(老人臭)
*食事の時、いちいち文句を言って、不機嫌そうに食べる
*不景気で、私の給料も、家計費も削られた
*仕事に対しての情熱が、若い頃に比べて、冷めてきている
*金がないにも関わらず、歳を取ってから、子供を欲しがるようになった。
*仕事中でも、自分の感情をコントロールできないで、平気で怒鳴る
経済力があったから、多少の欠点も目をつぶって来れたけど、
金の無い、足の短い、頭のはげた、偏屈オヤジの子供なんて、誰もいらないよ。
〜〜〜
思い出しては、涙が出る
2002年5月6日今日で丸二日、化粧をしていない。
何かあるごとに、涙が出る。
その度に、冷水で顔を洗うので、化粧は気持ちが安定するまでは、しばらく出来ない。
〜〜〜
夜、布団にはいる。
夫が私に言ったことや、今回の仕打ちを考えると、悔しくて、悲しくて。
涙が出る。
声を出さないと苦しいので、声を出して無く。
少しだけスッキリして、その後は、少しだけ眠れた。
隣の部屋で寝ている夫には、私の声は届いているのだろうか。
何かあるごとに、涙が出る。
その度に、冷水で顔を洗うので、化粧は気持ちが安定するまでは、しばらく出来ない。
〜〜〜
夜、布団にはいる。
夫が私に言ったことや、今回の仕打ちを考えると、悔しくて、悲しくて。
涙が出る。
声を出さないと苦しいので、声を出して無く。
少しだけスッキリして、その後は、少しだけ眠れた。
隣の部屋で寝ている夫には、私の声は届いているのだろうか。
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泣いてなんかいられない。
2002年5月5日映画さながらの愛憎劇。
かつて愛した男が、どんな手で私を追いつめてくるのか、
地獄の結末まで、見てやろう。
ものすごい確率で出会って、結婚までしたんだ。
そう、結婚式の時、牧師も言っていたっけ。
神がなぜ、私と夫を、巡り合わせたのか。
滅多に普通の人間には経験の出来ないことが待っているに違いない。
生きて地獄を見てやろう。
かつて愛した男が、どんな手で私を追いつめてくるのか、
地獄の結末まで、見てやろう。
ものすごい確率で出会って、結婚までしたんだ。
そう、結婚式の時、牧師も言っていたっけ。
神がなぜ、私と夫を、巡り合わせたのか。
滅多に普通の人間には経験の出来ないことが待っているに違いない。
生きて地獄を見てやろう。
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今日の日記
2002年5月4日風呂上がり、夫に「別れない」と、はっきり言った。
案の定、怒り出す。
「会社は、五月で解雇」と言い渡される。
実際給料の大幅カットは予想していたが、一足飛びにここまでやってくるとは。
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今日の日記
2002年5月3日今日7時間かけて、父がやって来る。
「金銭的、精神的に、どんなに追いつめられても、とにかく、離婚には応じるな。」
父も、母と離婚して、別な女と再婚した。
「離婚する、しないで揉めていたときは、自殺も考えた。」
「今にして思うと、離婚はしない方が良かった。」
2時間ほど、話をして帰っていった。
今日の夕食も、重たい空気。
メガネを外して、自分の世界で食事をとる。
味が薄いと、塩をかけて食べる夫の、シルエットが見える。
食事が終わると、夫は自分の部屋に上がっていった。